「最近、年賀状を出していますか?」
そんな問いに「もう出していない」と答える人が多いでしょう。でも、気づかぬうちに、私たちは“年賀状的なこと”を続けているのかもしれません。たとえば、Facebookの誕生日メッセージ。
Facebookを見ていると「○○さんの誕生日」と、知り合いの誕生日を知らせる通知が出ることがある。数年前まで、ほとんど無視していた通知だが、最近は気がついたときは、できるだけ返信をしているようにしている。と言うのもFacebookの誕生日の通知と年賀状が似ていると感じたからだ。
そんなある日、ふと気がついた。この行為は、「年賀状」に似ているのではないか、と。決まった時期に届く通知、それをきっかけに交わされる近況報告や挨拶。デジタルの世界で、私たちは知らず知らずのうちに、年賀状に似た新しいコミュニケーションの形をしているのかもしれない。
もう年賀状を出す人はだいぶ少なくなった。「2025年用の当初発行枚数は10億7000万枚…年賀はがきの発行枚数などの実情」によると、年賀状の枚数は2003年の約44.6億枚をピークに2024年には10億7000万枚とずいぶんと減っている。この数字を見ると、確かに年賀状文化は衰退しているように見える。
しかし、別の視点から見ると、2024年でも41.8%の人が年賀状を出しているという事実がある。つまり、日本人の約4割が、デジタル時代になっても紙の年賀状を送り続けているのだ。スマートフォンやSNSが普及し、誰もが気軽にメッセージを送れる時代に、なぜこれほど多くの人々が伝統的な年賀状を選び続けているのだろうか。
年賀状を出し続ける理由として、以下のようなものが考えられる:
* 年に一度の確実な近況報告の機会として
* 大切な人との関係を維持するため
* 日本の社会における重要な礼儀として
* 長年続く伝統や習慣として
* ビジネス上の関係維持のため
特に「関係維持」という点は重要だ。年賀状を出すことで「あなたのことを覚えています」「これからも関係を続けていきたい」というメッセージを伝えることができる。逆に、長年やり取りしていた相手から年賀状が来なくなると「関係が切れてしまったのかな」と感じることもある。
私の家族の実体験を紹介したい。数年前、ある家族が病気で入院することになった。その際、その家族から「入院中なので、私の代わりに年賀状を出してほしい」と頼まれたのだ。最近では珍しくなった家庭用プリンタを使って年賀状を作成したが、入院中にもかかわらず年賀状を出すことにこだわる事に驚いた。正直に言って年賀状を出すことなど粗末な事で、そんなことを忘れて休んでいてほしかったのだが、その家族にとって年賀状を出すことは、人との関係を保ち、社会的な礼儀を守り、長年の習慣を続けるという意味で、欠かすことのできない大切な行為だったのだと理解できた。
私と言えば、中学時代までは年賀状を出していた記憶があるが、インターネットを利用してから紙の年賀状を出したことは無い。年賀状も昔は電子メール、今はSNSのタイムラインで投稿をしている。紙の年賀状であろうとデジタル上での年賀状であろうと「年賀状」に違いはないからだ。1年に1回の生存報告と近況の連絡は別にデジタルでも良いだろう。
そういう人間なので、そこまで年賀状的なコミュニケーションに縁が無かったのだが、近年のFacebookを見ていると、誕生日メッセージのやり取りを見ると、まさにこれが「年賀状」的なコミュニケーションをしているのではないかと思った。
Facebookの利用者層には特徴的な傾向がある。「令和5年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によると、LINE、X(旧Twitter)、Instagramと比べて、Facebookは30代から50代の利用者が中心となっている。この年代層は、ちょうどビジネスパーソンが多く、従来から年賀状での関係維持を大切にしてきた世代でもある。日本でのサービス開始から15年以上が経過し、若年層の新規ユーザは他のSNSに流れる傾向にあるものの、この世代を中心とした独自のコミュニティが形成されている。
普段は投稿をそれほどしない人も「誕生日」となると、メッセージを書き込む人が多くなる。これはFacebookで繋がっている人に「誕生日」の通知が来るので、その人に対して「誕生日のメッセージ」を書きやすくなるからだ。普段は自分宛の通知が少ない人でも、自分宛のコメントが来れば反応をするケースも多いだろう。それも自分を祝ってくれるコメントであれば、なおさら返信をしたくなる。
この時の誕生日のコメントのやり取りが私は非常に「年賀状」的に感じる。年賀状と同じように、決まった日に通知が来て、その日を機会に近況報告や挨拶を交わす。普段はあまり連絡を取り合わない人とも、この機会にメッセージを送り合うことで、つながりを維持することができる。また、誕生日メッセージへの返信で、相手の近況を知ることもできる。
さらに、Facebookの誕生日メッセージには、年賀状にはない利点もある。例えば、相手の誕生日を覚えていなくても、Facebookが通知してくれるので、メッセージを送り忘れることが少ない。また、デジタルならではの手軽さで、すぐにメッセージを送ることができる。返信も簡単なので、コミュニケーションが続きやすい。
少し前までは、Facebookの誕生日通知機能はほぼ毎日出てくるので、正直なところ邪魔に思っていたし、定型文を送っても仕方が無いと思っていた。実際に最近のFacebookの誕生日メッセージは、はじめから定例文が用意されており、そんなメッセージを送っても送られてもあまり嬉しいとは感じなかった。ただ、少し前から「これは年賀状なのでは?」と思い、気がついたら簡単なメッセージを送って近況報告をしたり、それをきっかけに、その人と数年ぶりに食事に行くことも出てきた。年賀状は一方的な近況報告や関係維持という側面もあるがFacebookの場合はその場でリアクションができるのも強みの1つである。
このように、デジタル時代における新しい「年賀状」的なコミュニケーションの形として、Facebookの誕生日メッセージは興味深い可能性を秘めている。確かに、他のSNSの台頭により、この習慣も変化していく可能性はある。しかし、人々の関係を維持したいという願いは普遍的なものだ。その表現方法は時代とともに変化しても、私たちは常に新しいコミュニケーションの形を見出していくのだろう。
(この文章はCursorとChatGPTを利用して作成した)